今回描いたドット絵アイコンは漫画家・中島たを先生

私は学生時代の2年間、大阪総合デザイン専門学校で漫画制作を学んでいました。
その時に講師として学校に来られていたのが漫画家の中島たを先生でした。
当時私が目指していた絵の志向は鳥山明先生であったり手塚治虫先生であったり、はたまた三国志の影響で横山光輝先生であったりしたのですが、支離滅裂のように思われますが、これらの先生方のような絵を描けるようになりたいとは思っていました。
ですが、たを先生には一度とて褒められたことはありませんでした。😢
絵のデッサンがダメだったんです。バランスが良くなかった。
ところがある日、偶然に描いた2頭身にデフォルメした小室哲哉さん風のキャラを描いたら、それが先生に褒められた。
めちゃくちゃ嬉しかった。☺️☺️☺️
けど、絵が上手に描けただけでは漫画家にはなれなかった。
私にはストーリーを作る才能がなかったからなぁ〜…😛
先生に褒められた2頭身にデフォルメした小室哲哉さん風のキャラ、今は残っていませんが、今にして思えばあの絵が今の人物ドット絵の基礎になった気がします。
たを先生がいなかったらピクセルガローも無かった訳だ。
漫画家には成れなかったけど、先生には今に続く道を作ってくれたと思い、感謝しています。
後に知った話ですが、大阪総合デザイン専門学校の漫画講師は1979年に元々キャラクターデザイナーの江村信一さんに話が来ていたそうですが、東京のサンリオにデザイナーとして勤務が決まっていた為、中島たを先生を紹介したそうです。
(参照「江村信一キャラクターアートの世界」:https://emurin.exblog.jp/23120303/)
不思議な縁ですね。
たを先生は非常に優しくて楽しい方でした。
時には丁寧に教えていただきましたし、お話をされている時も水島新司先生のお話を楽しそうにされていたのが印象的でした。
もし、講師が中島たを先生以外の先生だったら、こうして今も絵描いていただろうか❓☺️
たを先生に関する情報は以前にはWikipediaを始めとしたネットにも存在していたと思うのですが、最近めっきり見かけなくなったように思います。
「中島たを」で検索しても先生に関する情報を掲載しているのはお弟子さんのブログに掲載しているくらいです。
お顔の御写真もありません。
だから、私は何の資料もなく過去の記憶を辿って先生の人物画を2頭身にデフォルメしてドット絵で描きました。
ドット絵アイコン作家として私なりに先生の面影を残せたらと思ったのです。
当時の同級生や先生のお弟子さんが見たら怒るかな❓❓❓😅😅
いつもなら人物アイコンは原寸サイズで掲載しているのですが、今は掲載は遠慮しておきます。
ネット上の先生の情報が少ない所を見るにあたり、もしかしたらご親類や関係者の方の意向もあるかもしれませんから。
だから、今はそっとドットで一筆添えておきます。
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